
桑畑
本多さんにお聞きしたいのですが、僕が「デザイン&ダイアログ」というブランドコピーを打ち出したことに関してどんな期待がありますか?
本多
「デザイン&ダイアログ」が生み出す世界ってどんなだろうな、という興味や関心があるな。期待ね、、うーん、、すごい可能性を感じるのは「人は自分の素晴らしさを本当に知らない」と思うことが多いから、それを知れる機会が世界に充満する可能性を感じますね。うん。本当知らないよな。人は自分たちの素晴らしさを。
桑畑
一つ白状してしまうと、僕は「ダイアログ」という言葉の意味を本当に深いレベルで知らないことです。よくわかっていないで使っている部分もあります。
本多
ふふふふふ。おもしろい
桑畑
ただ、そこの定義を今ここで本多さんと言語化しておくの大切だと思っています。よく言うのは、並べて「ディスカッション」と「ダイアログ」は違うと言いますね。
ディスカッションは一つ何かの正解に導くために、論破し合うって言っても極端じゃないと思うんですけど、論破し合うのがディスカッション。じゃあ、ダイアログは何でしょうと。
本多
ねえ、なんだろうね、聞かれるたびに言うこと違うかもしれないんだけど、「何も悪くない」という文脈の中で、会話されることだと思っていて、だから何も守るものがない、守る必要がないので、よりオープンであれるし、より深く会話もできるというのかなあ。
そうすると、人は自分のすばらしさを「知らない」っていうところから、「知っている」という可能性が開くんだと思うんだよ。それと対比概念としてのディスカッションというのは大概の人にとっては素晴らしいと思うんだよね。
桑畑
ディスカッションとい言うよりディベートの方が伝わりますかね?
本多
そうそう、元々はそういう対立概念としての意味では無いんだろうけどね、ディスカッションもディベートもね。
ダイアログの個性を引き出す意味での対立概念としては、素晴らしい役割を果たすと思うんだけど、守るものが「勝ち負け」だからね。そうすると、「勝ち負け」に対してパワーがあるよ。そこに半分くらい注がれるとしたら。本当のオープンな会話や、人が力付けられるアイデアは出てこないよね、出てきづらいよなー。
桑畑
ここまでの話の流れから考えると、ダイアログはクライアントに愛情とかリスペクトとかがないと絶対に成り立たないと思います。「どうにか救わなきゃ」とか「直さなきゃ」という構えだと始まった時点で絶対にダイアログにならないですよね。「私は知っているけど、あなた知らないでしょ」みたいなのは絶対ダメですね。僕も無意識でやっちゃうときがあるから気をつけないと。
本多
うん、難しいだろうね。
桑畑
逆に言うと、初めからこの人の言うことには絶対に従うべきだ、という姿勢でもダイアログは成り立たないですよね。福沢諭吉じゃないけど、人を上に置くとか下に置くとかそういう前提ではなくなるので。
本多
今出てきたイメージは森の中に咲く花というか、人間も植物も同じように、それ自体が成長する力を持っていると思っていて、どうしたらそれが引き起こるかというと、見守るとそうなるんだよな、みたいな。それがダイアログの可能性なんじゃないかな。ダイアログは対話ってことなんだけど、対話が自然と起こる環境が大事なんだと思うんだよ。答えになりましたかね?定義づけてみようという対話でしたけど。
桑畑
本多さん自身ががダイアログでなくなる「環境・状況」とはどんなときですか。
本多
「何かが悪い」って環境かな。
桑畑
具体的には?
本多
話すの?笑
本当ね、、、自分の小ささを感じるんだけどね。自分が客としてサービスを受ける側のときに、例えば店員さんに対してとか、「自分が重要だ」って会話に使われちゃうんだよな。
「こんな重要な僕をちゃんともてなさない人」だと見えて、全然ダイアログじゃなくなっちゃう。本当に人としてちっちゃいなー。
桑畑
自分がダイアログじゃなくなるときは会社の財政が背後にあるときの社員やクライアントとの会話ですね。会社が苦しいときにさらに会社を苦しくなるような会話に聞こえちゃった瞬間に「こんな苦しい時に何でそんなことしちゃうの?」って怒りが出てきます。
本多
相手と自分が分離しているような文脈だとダイアログになり得ないなあ。
本多
ちなみに「デザイン&ダイアログ」を打ち出した理由、何ですか?
桑畑
僕がクライアントのロゴマークや事業のコピーなど、CI(コーポレートアイデンティティ)を創るときの初回のヒアリングで、相手の想いが引き出されて、しかも引き出されただけじゃなくてその場にいたメンバーに共有されるという場面があります。この状況をどんあ言葉で言い表したら近いのか探し始めたのがきっかけです。
本多
表現としてしっくり感があるって聞こえてはいるんですけど、そこに込めた想いとか本質、中身的にはどうなの?なんでこれを打ち出したいの?その表現は何を表現したいの?
桑畑
意味としては、「デザイン&コミュニケーション」でも良かったんです。でもデザイン&コミュニケーションは「コミュニケーションデザイン」という言葉が一般的になっているように、あまりにもありふれた言葉だからコピーとしてインパクトがいまいちだと思い、デザイン&ダイアログにしました。
今から「ダイアログ」の部分を「コミュニケーション」に変えて話すと、デザインとコミュ二ケーションって両方必要だと考えています。コミュニケーション抜きではデザインできないことなんて、商業デザインを経験した人の中では常識中の常識でしょう。その当たり前さをあえて表したかったのです。
僕も色々なクリエイターと会話する機会がありますが、当たり前のことを掴んでいないクリエイターがまだまだいるんじゃないかと感じることが多いです。それはテクノロジーの功罪の罪の部分だと考えています。
例えば、デザイナーとして良いデザインができなかったときに「もうちょっとあの技術を知っていたら」とか「もうちょっとマシンのスペックが良ければ」とか「もっと予算や納期があったら」とか、とにかく環境や技術のほうに原因を求めがちです。
しかし一方で、「クライアントのことをどれだけ理解できていたか」という立ち位置にはあまり立たないですよね?そして成功しているクリエイターと、なかなか殻を破れないクリエイターとの差ってそこが大きいのではないかと感じています。
本多
なるほど。わかるなあ、それ。
桑畑
なんで、通信機器が発達したこのご時世で大手ブランディング会社や大手広告代理店が、打ち合わせを「対面」でしたがるのか? そこがキーだと思うんですよ。それを「古い体質」とか「非効率なスタイル」と括ってしまうと本質が見えてこないと考えています。
本多
なるほど、何なのそのキーは?
桑畑
「電話やメール、スカイプで良いじゃん」って言う人も実際に多いです。最近のスカイプなんてかなりすごいですよね。それに僕自身も対面であっても非効率な打ち合わせ、、、打ち合わせ自体が目的になった打ち合わせには反対です。ただ、今回言いたいのはそこではありません。
本多
僕がリクルートの広報時代に、大手広告代理店からリクルートに対して「情報は人間を熱くする」っていうプレゼンテーションをされてね、、あのプレゼンを見たときにすごく「承認」されたんだよね。「本当に理解された」という体験があったよね。あれは間違いなくスカイプじゃ伝わらないだろうね。
それこそ飲みの席で語られている「何に僕らは命がけで取り組んでいたのか」ということを、僕ら以上にプレゼン側に掴まれたという体験があったんだよなー。
そう、僕らは熱くなりたかったんだよ。別に利益率30%にこだわっていた訳じゃなかったんだよね。
桑畑
プレゼントは対話無しでは贈れないですよね? 例えばユーザ行動解析をして行動心理を推測してプレゼントを贈ったとしたら、恐らく高確率で相手が欲しいモノは贈れると思いますが「最高にプレゼントされた」という体験には残らないでしょう。
そこに一言でいいから手書きでメッセージが入っていたりとか、贈る側の「ぬくもり」を感じた瞬間に「素敵なプレゼント」としてあらわれてくるでしょう。
「欲しいモノが来た」というのと、「プレゼントを贈られた」は全然違いますよね?
プレゼントは贈るものそのものよりも、そこに紡がれた「ストーリー」が人に感動を与えます。添えられる言葉やそのタイミング、その人とのそれまでの人間関係。なぜそれを選んだかという理由や、プレゼントを贈るということは、贈る相手のこと考えた時間が明確にあって、その人のために使った労力があって、その人に渡すための時間をつくるという過程にまず感謝があるんですよ。相手が本当に欲しいものを体験するには、対話無しではあり得ないですよね。